株式会社ナナーズ

長野県でスーパーを川上村を拠点に運営する社長の想いをお客様にご紹介

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社長の想い

創業者の想いや創業ヒストリーを掲載

PRESIDENT

創業者である菊池は、地域の皆様や社会に貢献し、いつまでもお客様の心に残り語り継がれていく「伝説の店」を作りたいという想いの下、川上村に店舗を構えました。店名は長女の名前からとり、ロゴマークは次女・三女をモデルにしています。家族をはじめ、人との絆を何よりも大切にする社長の想いや創業のヒストリーを綴っておりますので、ぜひご一読いただければ嬉しい限りです。


代表メッセージ

MESSAGE

私の生涯のテーマ 「不可能常識への挑戦」

最も尊敬している人物「サム・ウォルトン、母」
最も大切にしたい言葉「謙虚、素直、誠実」
最も嫌いな言葉「商売人」
最も好きな事(趣味)「ゴルフ、草刈」

2001年版

長野県南佐久郡川上村。
秩父連山・八ヶ岳連峰に囲まれた人口4,800人の静かな高原の村だ。
ここに私たちの店「ナナーズ」がある。
村全体の商業売上は40億円。
ナナーズの年間売上高は約10億円。
こんな小さな村でと、珍しさも手伝ってか、業界でも注目を集めた。
私のところに何人もの業界誌の記者が取材にこられた。
書いていただいた記事は、失礼ながらどれもピンとこなかった。
カッコよすぎるのだ。
そこには、全く自分でないような優秀な経営者と、成功したスーパーが書かれていた。
成功なんて、とんでもない。
ナナーズはやっとスタート地点に立ったばかりだ。
私たちが本当に大切にしたいのは、売上ではない。
私はナナーズの理念すら、まだ従業員に伝えきれないと言うのに。
私たちがつくりたいのは「伝説の店」。
お客様に物を売るスーパーではない。
喜びを与える店、感動を与える店なのだ。
ナナーズでのできごとが小さいことだけど、大切なこととして、お客様の心にいつまでも残って、語り継がれていく。
そんな店をつくりたい。
私たちの挑戦は、始まったばかり。
まだ少しだが、こんなことが積み重なって、「伝説」ができるんだ、と感じる出来事もある。
「ナナーズで買い物したものをどこかに、忘れてきた。
お店に置き忘れてないか。」という電話が、お客様からあった。
店内を探したが見当たらない。
お買い上げいただいた商品をお聞きし、全部そろえて、ご自宅へお届けした。お客様はとても喜んでくださった。
実際にはその商品は別のところにあったそうだが、そんなことは問題ではない。
あるお客様が、他店でお買い上げいただいた商品を「返品したい」と持ってこられた。
「すみません」といって商品を受け取り、代金を返金した。
お客様は「ナナーズで買った」と思って、いらしゃるのだ。
ありがたいことだ。
それを「うちの商品ではないので、返品はできません」と対応することで、わざわざお客様に恥をかかせる必要はない。
「お客様は常に正しい」これがナナーズの判断の基準。
年配のお客様がお酒の瓶をかごに入れた時、さっと従業員がでて来て、かごを持った。
お客様が笑顔になった。
そのスタッフは誰に指示されたわけでもない。
自分で気が付いて行動したのだ。ただそれだけのことが私には嬉しかった。
でも、まだほんの一部にしかすぎないし、従業員全員ができているわけではない。
中には、こんなやり方は納得してはいないが、社長が言うからしかたない。
と思っている人もいるだろう。
私の努力がまだ足りないのだ。
でも、ほんの一部でも、従業員がいい判断・サービスをしている場面を見ると
よかったな、と心から思う。
私が目指しているものは間違っていない。
伝説の店は、絶対実現できるのだと。
自分がこんなふうに思えるなんて、昔はまったく予想していなかった。
家を継いだのは15年前、23歳の時.30坪の小さな店舗だった。
小さい頃から、ペコペコ頭を下げる商売が嫌でしかたなかった。
しかし小学校4年生の時、父が亡くなり、母と姉が苦労してやってきた家族の大切な店を、つぶすわけにはいかなかった。
年商は7000千万円だったが、同時に5000万円の借金も抱えていた。
お客様は当然、近所の顔見知りの農家の方たち。
売掛金の回収にうかがった時「俺たちが買っているから、お前たちが食っていけるんだ」と暗に言われた。
言われても、だまっているしかなかった。
悔しかった、情けなかった。
外交官にあこがれて、16歳の時アメリカに留学した。
帰国してからの人生は、うまくいかなかった。
突っ張って、停学処分を受け、転校して、やっと高校を卒業できた。
それから、東京の外国語専門学校へ入学。
結局、東京では何も見つけられなかった。
村に帰ってきた頃の自分は、思えばコンプレックスの塊だった。
売上で見返してやる、借金を1日でも早く返してやる。
それだけを考えていた。お金がすべてだった。
自分しか頼るものがない、そんな苦しい日が続いた。
そんな時、商業界のセミナーを紹介され、暗い穴からやっと明るい外に出たような気がした。
そこで話されることは、今までの自分の売上至上主義の考え方と全く違っていた。
「店は客のためにある」
お客様の喜びを第一としない限り、商売は続かない。
自分だけよくても、何も生み出せない。
今までのやり方は間違っていた。
涙が止まらなかった。
それから、お客様が喜ぶためには、どうすればいいか自分なりに考えた。
今までのやり方をすべて否定した。
考え方を変えると、急に道が開けてきた。
そんな値段じゃ無理だと思われるセールもやった。
ようはやり方だ。
そんなことできないと思っているだけじゃ、いつまでたっても、何もできない。
売上が上がり、いい仕入れができるようになり、店が好循環でまわりだした。
この間、私はもっと勉強しようと、セミナーに参加したり、アメリカにも行った。
ウォールマートやノードストロムなどのサービス哲学に触れるたび、日本の小売業は何かが違うんじゃないか。
生意気だが、そんなことを考えるようになった。
ナナーズの輪郭を描きだしたのも、この頃だ。
お客様のためにも従業員のためにも、もっと取り扱い品目を増やし、もっと安価でいいもの商品を提供するため、損益分岐点の低い店にしたかった。
何より従業員が、売上を気にせず、それでいて理想のサービスができる環境をつくりたかった。
まずいまの30坪の店を、300坪にしようと考えた。
いろんな人に相談したが、反応は一様に冷たいものだった。
“素人集団に300坪の店は無理、立地条件が悪い、小売りの成長限度は3倍だから90坪が限度、なにをばかなことをいってるんだ“というように・・・・。
でも、どうしてもやりたかった。自分の考えを理解してくれそうな人、一人ひとりに必死で思いを伝え、出資をお願いした。
何人かの方が、私の情熱に出資してくれた。
なんの保障もないのに・・・。
銀行も融資してくれなかったのに。
本当にありがたかった。
その人たちのおかげで、今日がある。
一生かかかって恩返しをしていきたい。
ナナーズをいい店にしていくことが、一番いい恩返しになるんだ。
出資者のほかにも、多くの人に支えられ生きている。
お客様のおかげであり、いい商品を仕入れさせてくれる問屋さんのおかげであり、この店で働いてくれるみんなのおかげだ。
一緒にがんばってくれる仲間に、ナナーズで働いてよかったと思ってもらいたい。
パートさん、社員、問わずアメリカにいって実際に様々な小売業を体験してもらったり、茶道も習ってもらっている。
普段ではできない体験を通じて、人生を少しでも、豊かなものにしてくれると嬉しい。
スタッフに茶道を習ってもらっているのは目的がある。
お茶は、もてなす側ともてなされる側の両方を体験できるもの。
学んで欲しいのはお手前の順番ではなく、亭主とお客様が、一つの空間を一緒にたのしむことなのだ。
お客様に対し「いらっしゃいませ」という言葉だけではおかしい。
殆ど毎日きていただいているお客様にかける言葉ではないからだ。
私たちのあいさつは、「こんにちは」。
「こんにちは」は何かをしながらではいえない言葉。
顔を見なければいえない言葉。
まず来店されたお客様に、笑顔で声をかけるところから、コミュニケーションが生まれる。
ナナーズのレジの仕事にも、もっと価値をつけていきたい。
お客様に喜びや感動を与える店にするためには、レジは重要だ。
対応次第で、お客様を喜ばせることも、失望させることもできる。
それなのに、スーパーは、今までレジを簡単な仕事として扱ってきたではないか。
レジはお店の顔。
自然とお客様と顔を合わせ、会話ができる場所だ。
レジという仕事のスティタスをあげていきたい。
例えば、大卒の職業の選択肢にスーパーのレジというのが認識されるように・・・。
“お客様から「これおいしいの」と聞かれたんですが、どう答えればよかったのでしょう。
私が食べておいしかったので、それをつたえてもいいんでしょうか。
ある従業員が質問してきた。
私は、こう答えた。
たとえ自分が食べたものでおいしいと感じていても、「おいしい」という感じ方は、ひとそれぞれ。
もしお客様がおいしいという言葉を信じてお買い上げになられ、おくちにあわなかったら、がっかりされるだろう。
お客様にリスクを負わせてはいけない。
その場で、試食してもらいお客様自身に判断してもらえばいい。
たとえそれが1,980円のメロンであっても。
試食で残ったものは、他のお客様へも試してもらえば喜ばれるし、コミュニケーションのきっかけにもなる。
だから、POPには「うまい」と書いてはいけない。
それがナナーズのやり方だ。
こんなやり方に自信が持てるようになったのも、3~4年前からだ。
それまでは、自分は売上をあげたいのか、それともサービスを追求したいのか、
わからなくなることが、よくあった.悩んだ。
でも、もう決心した。
理想とするサービスを実現することで売上は必ずついてくるんだ。
「あなたの今日の仕事は、たった一人でもよい、心の中で“ありがとう”と言ってくださるお客という名の友人をつくること」
ナナーズのやり方を、お客様は支持してくださっている。
従業員も頑張っている。
もう迷っている暇はない。
強く思えば、絶対かなう。
これまでの商売が私に教えてくれたことだ。
もし私の考えとあなたの考えに共通点があるなら、ぜひ、仲間になって欲しい。
伝説の店をつくるメンバーになって欲しい。
感動を与えるサービスの土台となる商品、価格、陳列も、もっと工夫しなくてはならない。
そして何より大切な従業員の意識づけなど一緒に考えていってくれると嬉しい。
伝説を作り上げるステップを一緒に楽しんでいかないか。
アメリカのチェーン店では、売上1兆円、もしくは200店舗でなければ、成功ではないといわれている。
しかし私たちが今やるべきことは、1店舗でもいいから、まず感動を与える店をつくること。
そして、それは日常の生活に必要なものを扱っている店だからこそできると信じている。
お客様の感動する出来事が、ナナーズの日常のものとなる時、ナナーズは「伝説の店」になる。
そして、伝説をつくるのは、店で働いているみんなの力だ。
従業員一人一人が自分の考えで行動し、感動を作り上げた時、ナナーズは必ず「伝説の店」になる。
その時を、あなたと一緒に迎えたい。

2001年秋
 株式会社ナナーズ 代表取締役社長
菊池芳徳

2006年版

ナナーズは人口4000人弱の川上村という小さな村に本店がある。この閉鎖商圏に450坪という巨大な売り場面積をもっている。
だれが考えても不思議な店である。平成7年7月7日、ほとんどの人たちの"無謀だ!"という言葉を尻目に店をオープンさせた。
無謀だと言う言葉は正しかった。
なぜなら業界常識では1つには、人口4,800人の閉鎖商圏では300坪の店は成立しないとされていた。
2つ目に30坪の店から一気に300坪にすることは不可能とされていた。
3つ目に人材がいない中での300坪の店舗の運営は不可能とされていた。
4つ目に他町村からわざわざ山奥にお客様は来ないとされていた。
5つ目に資金力がなければ大きな店は作れないとされていた。

私は「5つの不可能常識への挑戦」というタイトルの計画書を作り、商工会へ何度も足を運び、他のお店の人たちにも賛同を求めた。ばらばらに点在するお店を一か所に集めて
商業集積を作ることが10年後の生き残りのために絶対必要だと訴えた。だれも耳を貸してくれなかった。当然であった。
結局単独で店を作ることになった
10年かけてようやくオープンにこぎつけた。23歳の時に計画を作りはじめ、結局オープンさせた時はすでに32歳になっていた。
その間、日本にはモデルがなくアメリカにモデルを求めた。アーカンソー州ベントンビルという4,800人の片田舎にでっかい
ディスカウントストアーをつくって急成長している店があることを教わった。自分の環境と同じだと思えた。
それから年に2~3回のアメリカ通いが始まった。よく別な目的で行っているのではないかとからかわれた。当時日本ではあまり知られていない名前の店であった。
"ウォルマート"
その店は私にとって心の支えだった。

もうひとつ大きな心の支えになっていたのは、商業界のリテールマネージメントスクールの故川崎進一校長先生に教えていただいたフランスの経済学者ルネ・ユーリックの言葉
「大きな町には小さく作れ、小さな町には大きく作れ」
という普遍の言葉であった。
そして自分の全財産(わずかだけど)かけても悔いがないと私の決断の決め手になった最大の理由はこの川上村大深山という私の生まれ育った場所にある。
ナナーズの前身は菊池商店であり、私は3代目である。私が今こうして経営をさせていただいているのはその先代の歴史があってのことである。
この3代がどれほど川上村の人たちにお世話になったかはとても私が簡単に説明できるものではない。
私が説明できることと言えば、父が39歳で他界した時私は小学校4年生だった。母と祖母と3人の子供と多額の借金を残して逝ってしまった。
その時点ですでに菊池商店は終わっていてもおかしくなかった。
川上村大深山の人たちに支えていただいたから今がある。
50メートルもない眼と鼻の先に資金力のあるお店がオープンしたときも大深山の人たちは菊池商店に来てくれた。
この有難さはきっと経験したものでしかわからないかもしれない。私は生涯この感謝の気持ちを持ち続けるつもりである。
ナナーズをなぜ国道の通っているところに作らなかったのかとよく聞かれる。その方がもうかることは誰にでもわかることである。
なぜこんな山奥に大きな店を作ったかと聞かれれば「自分の生まれたところだから」としか答えられない。理由は簡単に説明できるものでもなく、人間の人生観にかかわるものだから。
しかしながら経営にゴールというものはなく、今になってはすでにお客様に対しては不便な店になっており、
ましてや川上村の人たちに何の貢献もできないでいることに申し訳ない気持でいっぱいである。
今後ナナーズを成長させていくためには外に投資をしていかなくてはならないことは当然である。ましてや近隣の人口が減ってきている昨今、
ナナーズ本店への投資意欲は年々無くなることは私が一番わかっている。だから今年2006年、改装し増築した。
300坪をさらに450坪にし、2階まで作った。ナナーズをはじめに作った時以上の投資をした。人口は減っているというのに…。
また平成七年の時と同じことを言われた。
"あんなことして何考えてんだ!"と。
この投資は10年後のためのものであるといっても仕方ない。10年後にならないと理解してもらえないから・・・。 
ただはっきりしていることは、この先10年業界はもちろん日本の経済状況が好転することはないということ。
ナナーズの名前の由来をよく聞かれる。
この店を作る計画書を作っている頃に長女の奈那(なな)が生まれた。
ななの顔を見ながら”そうだ!ななが7歳になった時の誕生日プレゼントで教えてやろう”と思い付きでななの名前を使いました。
その後子供が6人になり、次女の実耶と三女の由華が”ななばっかりズルい”ということになり
今のナナーズのロゴマーク女の子の絵は5人目の子二女"美耶"と6人目の子三女"由華"をモデルにしました。
 あとはこれからナナーズを成長させることで、地域そして社会にどれだけ貢献できるかが私のこれからの人生をかけた仕事だと思っています。

私の生涯のテーマ
「不可能常識への挑戦」
私の最も大切にしている言葉
「商人の姿とは、一人のお客様のために誠実をつくし、一人のお客様の生活を守るために利害を忘れる。その人間としての美しさこそ本物の商人の姿である。
今日のあなたの仕事は、たった一人でもよい、心の中で"ありがとう"と言ってくださるお客という名の友を作ることである」岡田徹先生(昭和32年没)の言葉

2006年7月吉日
店舗改装にあたり
 
株式会社ナナーズ
代表取締役社長 菊池芳徳

2006年夏 家族写真
2006ロゴマークのモデルにした写真

2013年度版

今年は2013年、前回あいさつ文を書いてから7年の月日が経ってしまった。
今年の元旦に家族全員で撮った写真を見ると、子供たちがどんどん大きくなっていることに驚く。
ホームページを刷新するにあたりあいさつ文を・・・と言われたものの、今まで言ってきたことに
なんら変わりはない。だから書き直しはしない。書き足したいと思う。
ペコペコと頭を下げ、陰で”高いのまずいの”と言われながら我慢して・・・。
こんな商売の跡継ぎにだけはなりたくない。冗談じゃない。
それが私の20代はじめの姿であった。(みじめだったのは店の小ささではなく、自分の考え方だったと今はわかるのだが・・・。)

昭和63年(当時24歳)商業界ゼミナールに初めて参加して、岡田卓也さん(現イオン創設者)にお会いし、
故川崎進一先生にお会いし、そして私の人生観を180度変えた経営の神様と称された故渥美俊一先生に
お会いし、三日間朝6時から夜中の2時まで勉強させていただいた。

2013年元旦家族写真


生まれてはじめてあんなに身震いし、涙がこみ上げてこみあげて止まらなかったことはなかった。
早速川崎先生の門下生となり、卒業後矢継ぎ早に渥美先生のペガサスクラブに入門させていただき
小売業の虜になった。渥美先生にビジョンを“一兆円”と書かされた時は唖然としたと同時に身震いがした。
同じ教室にあのダイエーの中内功社長はじめスカイラークの茅野社長、紳士服の青木社長など日本を
代表する大チェーンの社長さんたちと同じ勉強をさせてもらっているだけで、なにか自分まで大きくなったような
錯覚さえ覚えた。
ペガサスクラブの30周年記念パーティーで、同じテーブルにイトーヨーカドーの伊藤会長がいただけで
胸がドキドキして、結局何も喉を通らなかった時の思い出は私の一生の思い出になった。
入会して3年目に渥美先生との個人面談があった。
私はまだ30坪の商店主のままだった。渥美先生にこっぴどく叱られた。
「店が小さいことは決して悪いことではない。しかし小さいままでいることは怠慢以外の何物でもない。
はじめはどこもみんな小さかったんだ。お金もなかったんだ。努力して大きくなったんだ。おまえは
努力が足りない。365日24時間、寝ても覚めても勉強しろ!これからは300坪なかったらダメなの!」
あんなに怒鳴られるとは思わなかった。(でもうれしかった)
こんな山奥に300坪の店を作ったのは渥美先生が怖かったからかもしれない・・・。
一昨年渥美先生は他界された。
しかし渥美先生の教えと約束は私の人生から消えることはない。
「小売業、中でもスーパーマーケットほど人々の暮らしに貢献できるビジネスはないんだ。
小売業の社会的位置づけを高めるのが我々の使命なんだ。アメリカに学べ!そして
世の中にもっと貢献するんだ。」
この仕事は私の天職です。だからこれからも、もっともっと学び続けます。

2013年2月吉日
株式会社ナナーズ
代表取締役社長 菊池芳徳

2020年版

今、世界はコロナウィルスによる混乱に加え、アメリカの民族の分断と自分主義、中国の独裁覇権主義、朝鮮半島の危機、日本においてもかつてなかったほどの政府への不信感の増大。戦後これほど世界秩序が乱れたときはなかったのではないかと思う時代。
そして人類は進化の過程において、IT化やAIの技術進歩そしてロボット化、人類が成長発展していくために変化は絶対必要なものだと思う。しかし、その変化の結果として必ず功罪、明暗というものがある。
今世界の傾向は一部の富裕層と多くの貧困層に分かれてしまっている。このコロナショックで仕事がなくなってしまっている人が増え、経済がマイナス成長している中で株価だけが高騰している。結果一部の富裕層がさらに富を増やして貧困層は増える。
人間の本質(やさしさ、思いやり、人情といったもの)というものについて考えさせられることが多い。本当に大切なことが置き去りになってしまっていないかと考えてしまう。
経営で言えば、本来経営の技術やシステムは変化すべきことだが、経営理念というものは決して変えてはいけないものだ。もう一度人類は変えるべきことと変えてはいけないことを明確にしていかなければ歴史の同じ過ちを犯すのではないかと心配してしまう。
過去の歴史において、人類は進化しながらも必ず同じ争い(戦争など)を繰り返している。
100年以上戦いのなかった歴史はない。第二次世界大戦からまだ100年たっていない。第三次世界大戦は絶対ないと言えるだろうか。
 さて、私たち小売業、スーパーマーケットの世界はどうだろう。
30年前、私が佐久の市場に仕入れに通っていろんなお店経営者の人たちと楽しく活動し、ゴルフ大会なども多くあったことが懐かしく思い出される。あの頃市場に通っていた200件以上の仲間たちは今はほとんどいなくなってしまっている。大型のスーパーマーケットなどの進出で消えていってしまった。商品力、価格、規模、様々な点において完全に後れを取ってしまった結果である。その意味ではナナーズも決して大手企業にはかなわない。レジの無人化、セルフレジなどの技術も進み、いかに早くお客様を捌くことができるかが焦点になっている。私は今でも商品力と規模ならT社さんが長野県NO1だと思うし、価格なら西友かビックが断然安いと思っている。そして他にも大きなお店は山ほどあり、特に佐久は県内でも特にお店が多い激戦区と言われている。そんな佐久市にお店を出したのだから当然「ナナーズも佐久市の出店はさすがに無理だろう。一年持てばいいが・・」とほとんどの人たちから言われたのもしかたない。しかも出店当初はそんな噂も手伝ってかちゃんとした技術者などは来てくれるはずはないし、とにかく集まってくれたスタッフで何とか運営するしかなったので最初の1~2年は思ったような売り場すらつくれなかった。みじめな内容だった。そんなナナーズもスタッフの献身的な努力によって最近はようやく少しお店らしくなってきたと思っている。そして今年は佐久の安原店の5年目がスタートした。やっとお客様に知られてきて、最近でもさらに成長をさせていただいていることに心から感謝するばかりである。まだまだ商品力、価格などまだまだ努力していかなければならないと思っているし、改善しなければならないことが山積みだ。
ナナーズがなんで潰れないで伸びているのかわからないと多くの人から言われる。
もし、買い物というものが単に冷蔵庫の中が空になったから補充するためだけのものだったなら、商品力の高いお店があればそれで十分だ。少しでも安いものがほしいだけだったらそういう店があれば十分だと思う。でもナナーズに毎日(たまには1日に数回)来てくれているあのおばあちゃんにとって、ナナーズは憩いの場になっているようだ。単に食料を補給するためだけに来ているのではない。先日川上村の94歳のおじいちゃんが免許の更新をして、その理由を聞かれ「俺はただナナーズに行きたいだけだ」と言っていたという話をきいて本当に嬉しかった。
川上村の人口は私がナナーズを作った時は4800人、現在は3800人、どんなに人口が減ってもナナーズは川上村の物価を下げる努力を続ける。
自分の想いをすべて語ったらきりがない。私は単にお客様に喜んで(ニコニコして)帰っていただけるお店が作りたい、また行きたいと思っていただけるお店が作りたいだけだ。
「商いというものは単なる金儲けの手段ではない」という倉本長治先生の言葉を忘れることができない。あのサム・ウォルトンは全米長者番付NO1になった時でさえ飛行機はエコノミークラスに乗っていたことを考えると私ごときはベンツには乗れない。みんなから社長が軽自動車じゃかっこ悪いと言われるが、私は全然恥ずかしくないし、本当に乗り心地良く駐車場にも止めやすく、最高に気に入っている。ただ一つだけ、ゴルフ場に軽自動車でいくと何となく申し訳ないような気がするだけで、あとは全く問題ない。でも従業員にはもっと満足できる暮らしをしてもらえるようにこれからも努力をして行きたい。

2020年6月(令和2年)
株式会社ナナーズ 
代表取締役社長 菊池芳徳

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